第134回例会のお知らせ

日仏美術学会第134回例会のお知らせ

日仏美術学会第134回例会を下記のように開催いたします。
皆様奮ってご参加下さい。 

日 時:2014年12月20日(土) 14:00~17:30
場 所:京都大学文学部 新館2階 第6講義室(京都市左京区吉田本町)
    市バス「京大正門前」下車すぐ 京阪「出町柳」駅下車徒歩12分

ポスターはこちら

テーマ「ルドン、ゴーギャン:象徴主義研究の新たな方向性
―ダリオ・ガンボーニを出発点として―」

◆14時00分~14時50分
山上 紀子(大阪大学非常勤講師)  
「芸術作品の物質性 ―時に委ねられるオディロン・ルドン作品―」 

◆15時00分~15時50分
廣田 治子(美術史家、多摩美術大学講師)  
「ゴーギャンとグロテスク美学」

◆16時10分~17時30分  質疑応答(全体討論)
◇コメンテーター
永井 隆則 (京都工芸繊維大学)
高野 禎子 (清泉女子大学) 

◇コーディネーターと司会:吉田 典子(神戸大学国際文化学研究科)
連絡先: Tel:078-803-7488 (dial in) 


発表概要:
◆山上 紀子 「芸術作品の物質性 ―時に委ねられるオディロン・ルドン作品―」

神秘の画家、というオディロン・ルドン(1840-1916)のイメージは、画家が晩年に半生を回顧し、死後出版された自伝に多くを負っている。彼は自伝の中で具体的な事実を詳しく語らぬ代わりに「自分のこと」を語り続けた。感傷に色づけられた「画家の記憶」を唯一の正当な源泉としながら、ルドンは想を得た文学作品との直接の連繋を否定し、自らの作品を観る者の想像力に委ね、多義性と不確定さ、自立性を維持してきた。しかし近年の研究は、ルドン芸術が単なる自己言及や得体の知れない空想の賜物ではなく、進化論、心理学、狂気や無意識の研究、奇形学、微生物学、天文学、神秘学、文学、宗教など、同時代の旺盛な知的欲求に裏付けられた複合的イメージであることを明らかにしている。

研究がもたらした多くの情報は、神秘のヴェールに包まれてきた作品の図像にまつわる謎を明るみに出したが、本発表では、作品からわれわれが受け取る情緒的な印象が、画材の経年変化とも強く結びついていることを指摘したい。というのも、彼の作品の表層に目を向けると、偶発的あるいは意図的に生み出された色、形、質感などが掻き立てるさまざまなイメージが個々の作品に多義的な意味をもたらしているからだ。画家は、皺や傷を付けた着色紙や、下塗りや上塗りの処理をしていないカンヴァスなど作品に応じて支持体を使い分けたほか、一部の作品においては自然変化を待つだけでなく、あらかじめ油に浸した画材を用いたり画材の両面から定着剤を塗布するなどしながら、期待した結果を誘発させたと考えられる。偶発的あるいは意図的に生み出された染みや滲みは、作品自体が「物質」であることを強く意識させながら、観る者に応じてさまざまな「時」や「記憶」といった観念を喚起している。ルドンに関する膨大な研究を通じて、作品と観者とのあいだの能動的で双方向的な関係を重視しているダリオ・ガンボーニは、ルドン作品において偶発的で曖昧なイメージが果たす役割を詳細に検討した。 本発表では、『「画家」の誕生-ルドンと文学-』『潜在的イメージ』『アモンティラードの酒樽』でガンボーニが展開した作品の制作プロセスと解釈にまつわる議論を拡張し、ルドンの絵画や素描、版画における偶然の活用や、画材の加工など具体的な実践の意図と意味について検討したい。

一般に、美術品の経年変化は劣化と見なされ、修復や保存はこれを最小限にとどめることを目的として処理が行われる。ルドンは自作品を含めた美術作品に適度な保存処理や修復が必要だという態度を示す一方で、すり切れた遺物に美を見いだす感性をもっていた。偶然を意識するようになる過程では、イギリスの風景画、カミーユ・コロー、ロドルフ・ブレスダンなどからの影響、また経年を味わいととらえる態度にはジャポニスムや世紀転換期の反修復論から影響を受けた可能性も否定できないが、オディロン・ルドンは、衰微してゆくものの保存と展示に対する並ならぬ関心を、同じ芸術家でありながらこれまで兄との関係が軽視されてきた弟ガストン・ルドンと深く分かち合っている。

オディロン・ルドンは、「精神の代理人」と呼び愛用した木炭から離れたあと、1900年代に複数の画材を用いた繊細で脆弱な画面に到達した。儚い記憶の情景を喚起するこれらの作品は、画家が自らの作品の源泉であることを強調した、凋落した故郷の心象と結びつくとともに、画家の死後も時とともに解釈の幅を拡大しつづけている。

◆廣田 治子 「ゴーギャンとグロテスク美学」
 絵画、彫刻、陶器、版画を問わずゴーギャンの作品にしばしば見られる奇怪な形象は、20世紀中、象徴主義の観点からさまざまに解釈されてきたが、モダニズムに依拠する研究者が時折吐露したように、観者を困惑させてきたのも事実である。「潜在的イメージ」という概念を用いて、不可解なイメージの中に潜む意味を明るみに出すための、新たな方法論を提唱したダリオ・ガンボーニは、ルドンについての研究に続いて、ゴーギャンについても昨年大著を著し、想像的知覚、知覚的誤解、身体=心理学などの概念を用いて、ゴーギャンの創造の原理を見事に解き明かしている。
 このような瞠目すべき研究に対して、私のささやかな研究は、ゴーギャンの芸術や思想につきまとう「中心的なもの」と「マージナルなもの」、「モダンなもの」と「プリミティヴなもの」、「芸術」と「装飾」などの二極の間で揺れ動く曖昧さを解き明かすことを目指してきた。「グロテスク」(フランス語の複数名詞と単数名詞の両方の意味における)は、これらすべてに関わる概念のように思われた。  装飾芸術復興運動のコンテクストの中でゴーギャンが取り組んだ陶芸は、まさに彼が陶芸をマージナルな領域から彫刻という中心的な領域へと移行させようという意図をもって始められたものであったが、その様式の変化は、ルネサンスのグロテスク装飾様式から、中世的な奇怪な表象、そしてボードレール的な意味での哲学的グロテスクへという流れの中に捉えることができる。本発表では、この各段階の代表的作品を考察し、それらの霊感源を提示するとともに、絵画との対応関係を探ることにしたい。